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| 全てを受け入れる人生なら、それは人生ではない。 時には運命に逆らい、時には流される。 流され続ければ身体が鈍ってしまい、逆らい続ければ疲れてしまう。 用はそのバランスなのだが、私は何処で流され、何処で逆らえば良いのだろう? 何に気に食わない訳ではない、何に文句が有るわけではない。 だからこそ… 何処で流され、何処で逆らえば良いのだろう。 第三話 豪腕バッターは女の子 4月も半ばに差し掛かり、落ち毀れの吹き溜まりである第二α高等学校であっても一 年生は緊張の日々を送っているものだ。 それも、寮生活と云うある種の閉鎖空間に有る状況では自然と年功序列、日本伝統の 縦社会の風貌が強くなり、当然その縦社会に馴染めない人間が出てくる。 特に、α学園から入学式の時点で追い出されたアラド・バランガは上級生の目に付 く。 何かと理由を付けられては上級生からの殴打を浴び、罵声を浴び、それでもヒョロ ヒョロとした態度を取るアラドに再び拳が乱れ飛ぶ… アラドのヘタレっぷりは、どうも体育会系の上級生には不評の様だ。 今日も寮から学校への道で、レディースを束ねているカチーナ先輩から訳も解らず鉄 拳制裁を喰らった。 しかし、それも日常の1ページに過ぎなかった。 ヒリヒリする頬を擦りながら、春にしては高い位置にある太陽を睨め付ける。 今日の一時間目は体育であった。 一つ溜息が出た。 ヴィレッタ・ヴァダム 体育教師として私立第二α高等学校に勤務している、ごく普通の教師…自称。 高校野球史上初めての女性ピッチャーである事や、所属していたゼ・バルマリィ・ス クールを甲子園優勝に導いたピッチャーであるなど、あまりにも有名なプロフィール を持っている彼女は、この第二α高等学校では数少ない生徒が敬語を使う教師であ り、生徒の中では五指に入るほどの支持を集めている教師である。 そんな彼女は今日、校長のダイテツ・ミナセから一つの辞令を受けた。 この度設立される野球部の顧問となって欲しい…と云う物であった。 余りにも突然の事であったため、躊躇っているヴィレッタにダイテツはある映像を見 せた。 ゼンガー・ゾンボルトを監督へと引き込んだ、魔法の映像である。 その映像を見終わったヴィレッタは、ダイテツに「コイツを鍛えられるか?」と云う 問いかけに即答したと云う。 「やってみましょう」 …と ヴィレッタは1−2の体育の授業中、ダイテツに見せられた映像の事を考えていた。 不器用で、決して滑らかとは呼べない投球フォーム。140kmに迫る速度を持つ ボール。決して変化球を使おうとしない心構え。 完璧では無いが、それだからこそ感じられる何かが有る。 何と形容したらよいか…あえて言葉で表すとすれば…「夢」が有るのだ。彼女…アイ ビス・ダグラスのピッチングには。 しかし、日常生活の彼女はお世辞にも「夢」を感じさせる様な人間ではなかった。 何事にも無関心、無気力と云う生活を送っているアイビス・ダグラスからは、映像で 元気良くボールを投げ込むアイビス・ダグラスの面影は全く無かった。 バットとボールがぶつかる快音が響く。 授業でソフトボールを行なっている1−2の生徒たちは、ストレス発散の為か夢中で プレーしている。 こう見れば、普通の10代の子供なのだが、何故ここでは喧嘩やイジメが絶えないの だろう… 教師として遣る瀬無い気持ちで一杯である。 そんな事を思いながら、暖かな日差しの下で快音が再び鳴り響く。 外角のボールを引っ掛け、打球は一、二塁間に転がるがセカンドが投げた送球を ファーストが後ろにはじく。 まともにスポーツをした事も無く、ましてソフトボールの様な技術が物を云う競技で はこういったミスは日常茶飯事である。 「ボールを弾くなら、前に弾けよぉ!」 ヴィレッタはファーストを守っている金髪の男子に笑顔ながら言うと、その生徒は 「あいよ〜」と軽く言いながら、後ろを転がるボールを追いかける男子生徒の視線の 先に、汚れた革靴が視線に入った。 「カ、カチーナ…先輩…」 金髪の生徒が固まると同時に、クラス中の男子が固まり、女子は歓喜の声を上げる。 これほどまでに男女の差が付く人間と云うのも珍しいだろう。 カチーナは不敵な笑みを浮かべながら、視線をぐるりと周辺に送る。 その獲物を狙う肉食獣の視線は、不幸にもアラドの所で止まる。 アラドは必死に視線を逸らそうとするが、カチーナの心中は既に決まっていた様だ。 「代打!アラド・バランガ!」 カチーナが声を張り上げて、ヴィレッタに言う。 ヴィレッタはその声を受けて、アラドに視線を送る。 目で必死に訴えている。「ムリ!絶対ムリ!」っと… その目を見て、ヴィレッタの心の中には一つの悪戯心が生まれた。 「おし、アラド!行け!」 「そ、そんなぁ〜」 「情けない声を出すな!男だろ?」 ヴィレッタはアラドのしょぼくれている背中を平手で思い切り叩くと、笑顔のままア ラドを送る。 仕方なく下に転がっている金属バットを手に取り、右バッターボックスに入る。 軽くバットを回し、構える。 「ほう…」 その構えを見て、ヴィレッタは思わず声を上げる。ズブの素人にしては、綺麗な構え をして、一回バットを振ってみれば若干アッパースイングである所が気になるが、そ れさえ直せば良いバッターになるだろう。 ピッチャーは大きく振りかぶり、ソフトボールを上から投げる。下投げは投げにくい そうだ。 通常よりも速いボールを、アラドは大きく空振る。 「…」 アッパースイングの感じは無く、当たっていればスタンドに運んでいたであろう鋭い スイング。 次第にヴィレッタの笑顔が消えてゆき、真面目な物へと変わってゆく。 そして、次に放られたボールを目でしっかりと見て、思い切り引っ叩く。 快音が響き、ボールは一瞬の内に青空へ消えた。 静寂。カチーナを含む、その場にいる全員が沈黙する。 バットを放り投げると、アラドは悠々とベースを廻り始める。 ヴィレッタに再び笑顔が戻る。 彼のスイングにも、アイビス同様「夢」を見たのである。奴はモノになる…ヴィレッ タはそう直感した。 しかし、ヴィレッタとは別に、メガネを光らせた女子がアラドを不敵な笑みを浮かべ ながら見つめていた。 男は自慢の黒いBMWを校門の前に止めると、サングラス越しに目の前の校舎に視線 を送る。 今時珍しい…と云うか、現存しているだけで奇跡に近い木造二階建ての校舎。 周りを山に囲まれている完璧に隔離された空間にて、その木造校舎は見事に風景と マッチしている。 一つの溜息を吐くと、男はBMWを駐車場に停めて校舎に向って歩き出した。 すると、横から掛け声が聞こえてくる。 「第二ぃぃ〜ファイッ!オー!ファイッ!オー!」 男子生徒の元気の良い掛け声と共に、気の入らない声が後に続く。 野球部がランニングから帰ってきたのだ。 校門をくぐる4人の生徒の後ろから、自転車に乗ったゼンガーが声の出ていないマサ キの頭をメガホンで叩く。 「マサキィ!何だその気合の入っていない声は!」 「ったく、うるせーんだよ!別に声なんか関係ないじゃんかよ」 「有るんだバカモノ!」 マサキが入部してからと云うものの、ゼンガーとのイザコザが絶えない。両方とも挨 拶代わりと云う感じなのだが、毎日それにつき合わされている他のメンバーはウンザ リだ。 「相変わらずだな…ゼンガー」 言い合いをしているマサキとゼンガーに、男がゆったりとした表情のまま近づく。 「エルザ…」 「シィ〜」 サングラスの男は、驚くゼンガーに人差し指を口に当ててゼンガーに「言うな」と仕 草で言う。 「話さないか?」 「…お前たちは先に行け…」 「ウィッス」 只ならぬ雰囲気を感じ取ってか、リュウセイを先頭に練習場にまで引き帰ってゆく生 徒たちを見て、ゼンガーは久方ぶりに口元を緩める。 「2年ぶり…か?」 「ああ、お前が退団して妻が死んだ時だから、覚えている」 「そうか…」 2人の間に、何とも言えない沈黙が流れる。 重苦しくも無く、ゆったりとした優しい感じも無い。2人の間のみに流れる独特の空 気であった。 「そして、今日はどうした?」 「ああ、お前を手伝おうと思ってな」 「手伝う?」 「それに、私はレーツェル、レーツェル・ファインシュメッカーだ」 ゼンガーの怪訝な表情とは裏腹に、レーツェルと名乗ったサングラスの男はニカッと 笑みを浮かべていた。 練習場に戻ったメンバーは、各々の練習メニューに入った。 マサキはライのノックを受けて、守備練習に勤しみ、ライはそれをミートの練習とす る。 その隣で、リュウセイはピッチングマシンから送られてくる145kmのボールを掛 け声と共に思い切り引っぱたく。 しかし、アイビスの姿だけが見当たらない。 「どーもー、麦茶で〜す」 相変わらずの人だかりの中から、這い出るようにメガネを掛けた少女が姿を現した。 ツグミ・タカクラである。一見、真面目で可愛らしい女の子であるが、彼女の本性は 相部屋であるアイビスは痛いほど知っているが… 「おっ、どーもね〜」 バットを振っているリュウセイが、最初にツグミが持っている麦茶のコップを手に取 る。 キンキンに冷えており、一気に飲むと頭が痛くなりそうだ。 「サンキュー」 「貰っておく」 続いてマサキとライが続くが、コップが一つだけ余る。アイビスのピンク色のコップ だ。 「アイビスは?」 「ああ、『山』だ」 「またぁ?野球部に入ってから、あの子一回も投げて無いんじゃない?」 アイビスの分のコップを手に取ると、グイと一口で飲み干す。冷えすぎて頭が痛かっ た。 彼女は不機嫌であった。 基本はボブヘアであるが、耳元から伸びている髪を三つ編みにしている少女は、学校 指定のウェアを羽織ながらラケットを振るっている、 黄色いテニスボールに苛々をぶつける様に叩きつける。 弾丸の様な速さと質量を帯びたボールは、コンクリートの壁にぶつかり、コチラヘ跳 ね返ってくる。 それに再びラケットで叩き、また帰ってきたボールを叩く。 単調な作業に見えるが、ストレス解消には持って来いの練習である。 「張り切っているな?」 「あ…スレイさん…」 α学園テニス部の真っ白なウェアを身に包んだ、優雅と云う言葉を纏っている様な落 ち着いた物腰の女子が少女に声を掛ける。 青い艶やかな髪の持ち主の彼女は、スレイ・プレスティと云いα学園創立以来最高の エースと呼ばれている天才である。 「何をいらついている?ゼオラ・シュバイツァー」 「いえ…別に…」 そう言いながらも、ゼオラと呼ばれた少女はボールを叩き続ける。天性のパワーなの か、ボールの速度だけならばスレイに匹敵するかもしれない。 しかし、これほどまでに強く壁あてをする時のゼオラは必ずと言って良いほど不機嫌 だ。 「アラド・バランガの事か?」 「…」 何も答えない所を見ると、図星の様だ。 アラドとゼオラは幼稚園から一緒の幼なじみだ。勉学は勿論のこと、スポーツまで全 国クラスの腕前を持つ優等生のゼオラ。勉学は勿論のこと、スポーツまで全国クラス のオンチぶりを発揮する劣等性のアラド。 このお約束と云えばお約束だが、現実には有り得ない関係にアラドの男友達は毎日嫉 妬のパンチを見舞ったと云う。 腐れ縁と云えば腐れ縁だが、アラドにとっては頭の固い面倒を見たがる隣の女の子で あり、ゼオラにとっては出来の悪く自分が面倒を見なくては何も出来ない隣の男の子 である。それ以上では無いはずだ。 そう、少なくとも高校の入学式までは… 「書類の手違い…だったな?」 「はい…元々、受かる頭なんて持ってないんですよ…アラドには。なのに、意地張っ て受験して、受かって一緒に喜んで…入学式になったら手違いでしたなんて…酷すぎ ますよ…」 スレイが持ってきた缶コーヒーを受け取ると、近くのベンチに腰掛ける2人。 ゼオラの表情は今までに無いほど沈んでいた。 「最初はアラドを一方的に『落ち毀れ』って認定した学校の事に怒っていたんですけ ど…」 「アラドが居なくて寂しい?」 「そ、そんなことありません!!」 強がって言うが、本人が気付かないところで図星を突いているのであろう。その、 初々しさにスレイは目を細める。 「おかしいですよね!?」 「さぁ?私には何とも言えないけど…エリートって何だと思う?」 「え?」 「私はエリートとは努力の塊だと思う。絶対、ウィンブルトンに行ってやる。絶対、 この国を動かしてやる…そんな夢を持って、夢にがむしゃらに努力した者がエリート になるんだ。幾らエリートに嫉みの言葉を投げかけても、努力を惜しんだ輩が悪い。 私はアラドを知らない。しかし、彼は何か目標を持って、努力をしていたか?」 スレイの質問に、ゼオラが思わず言葉に詰まる。 幼稚園からの付き合いだ。アラドが何の目標も持たず、努力とは無縁な存在である事 も良く知っている。 α学園にそぐわないと判断されても仕方ない… しかし… 「それで煮えきったなら…悩む必要なんて無い…か」 スレイは一つ溜息を吐くと、飲み終わった缶コーヒーをベンチの横に置かれたくずか ごに投げ込む。 「悩みなさい、気の済むまでにね。只、自分の夢が有るだけあり難いと思いなさい」 柔らかな笑みを浮かべながら、持ってきたラケットをブンブン振り回しながら席を 立った。 「自分の夢なんて…」 「好きなんでしょ?テニス」 「それは…」 「フゥ…」 煮え切らないゼオラの態度に溜息を吐くスレイは転がっているテニスボールを手に取 り、ゼオラがした様に壁当てを始める。 「テニスだってアラドが初めて褒めてくれた物だし、たまたま上手く出来ただけ…テ ニスが好きな自信が無いんです…テニスが自分の夢なのか解らないんです!」 「…」 ゼオラのその言葉にも黙々と壁当てを続けるスレイ。その表情は先ほどとは打って変 わって、厳しい物になっていた。 「なら、止める事ね…好きでも無い事を延々と続ける義理は無いんじゃない?」 「そ、そんな…」 「自分の夢も解らない人間が偉そうに被害者ぶるな!」 ボールを叩きながらそう言うスレイには叱咤する人間の凛々しい表情は無く、非常に 固く自嘲気味な表情が浮かんでいた。 第二α高等学校は天然の要塞だ… 四方を山に囲まれ、完璧に外界と孤立した状態にある。 第二αを独自の世界を構築するに至らせた山々は、真のアウトドアを目指す人間以外 には足腰を鍛錬する野球選手ぐらいにしか使い道は無い。 今度ので三往復目だ。 ゼンガー監督はアイビスの投球を見て、まず足腰を一から鍛える事を命じた。 やはり、9ヶ月のブランクは技術ではなく体力の衰えに出てきていた。 ツグミが速いと感じたボールも、実は130km前後ほどのスピードしか出ていな かった。 それでも、女子が投げるにしては速いのだが、全盛期のアイビスはもう4〜5kmぐ らい速度が出ていた。 取りあえず、4月一杯と5月前半までフィジカル面を鍛える。 その為の山登りだ。 黙々と山を登り続ける…ただそれだけの工程なのだが、地味に疲れる。 額に汗を流しながら、四週目の山登りへと差しかかろうとしたその時… 「おー、頑張ってるね〜」 後ろから声が聞こえる。 オンボロの自転車を不器用に操り、前かごには麦茶の入ったポットがある。 坂道の為に少々表情が固いが、概ね相変わらずの笑顔だ。 しかし、彼女の登場にもアイビスは眉一つ動かさず、足を動かし続ける。 「休憩にする?」 「…」 「麦茶しかないけど、ピクニック気分で…どう?」 「…」 「けど、入部してからずっと山登りね?意外とアウトドア派なのね」 「…」 アイビスはツグミが話す言葉を全て無視しながら、黙々と歩き続ける。額から汗が滴 り落ち、呼吸も次第に荒くなってゆく。そんなアイビスの態度であっても、ツグミは 健気に、賢明に自転車を漕ぐ。坂道の為、次第と自転車の速度は落ちてくる。 「ホントに…飽きもせず…頑張っちゃって…ホント…」 そのツグミの姿に、アイビスは溜息を吐いてようやく振り返る。 「すぐ近くにベンチがある。そこまで頑張れるか?」 「な、何とか…頑張ります!」 降りて自転車を押して歩けば良いのに…と言おうと思ったが、その格好が面白いの で、黙っておく事にした。 何とか、ベンチが見えてきたが、そのベンチで奇妙な光景を目にする。 サングラスを掛けた、派手な格好をした男が携帯用のガスコンロでフライパンを振 るっていたのだ。中身はパスタの様で麺が踊っている。 しかし、サングラス男が調理をしている光景が奇妙な事、奇妙な事… 「近寄らない方が良いかな?」 「触らぬ変態にたたり無し…だな」 そう良いながら、ソロリソロリと後ずさりをする2人であるが、ふと振り返った男と アイビスの視線が合ってしまう。 「ゲッ…」 「おお、アイビス・ダグラスでは無いか!」 アイビス達を見つけると、大きく両手を開いて満面の笑みを浮かべる。 「知り合い?」 「さぁ…あ…」 その濃い笑顔を浮かべる金髪・サングラス男の姿に、アイビスの脳裏に過去同じ印象 を受けた男の名前を思い出した。 「あ、アンタは…エルザ…」 「おお、ツグミ・タカクラも一緒かね!」 アイビスの言葉を遮るように、サングラス男はツグミの手を取り思い切り上下に振 る。 「あなた…エルザ…」 「おおおっと!自慢のペペロンチーノが伸びてしまうでは無いか!」 今度はツグミの声を遮るように大声を張り上げると、ガスコンロの火に炙られている パスタを隣の折りたたみテーブルの上に置かれている大皿へとうつす。 「ペペロンチーノはその料理人の腕を見るには最適の料理だ。食べるかい?丁度、三 人前作ったのだが?」 「生憎だが…アタシは練習中で…」 「あら、エルザ〜さんのペペロンチーノなんて、そこらの料理より美味しいって噂 よ?食べていきましょうよ」 断ろうとしたアイビスの手を引き、ツグミは無理やり椅子に座らせる。 笑顔を浮かべるツグミに、再び溜息を吐くと目の前に置かれたペペロンチーノを フォークで突っつく。 「私の事は以後、レーツェルで良い。レーツェル・ファインシュメッカーだ」 ペペロンチーノをツグミの方へ取り分けると、残ったパスタをレーツェルは笑顔のま ま頬張る。 「少し、伸びたか…」 実に口惜しそうに言うレーツェルに「そんな事ないですよ〜美味しいです」と言うツ グミと、半ば呆れた様に無言でパスタを突っつくアイビス。 「ところで、君たちは野球部だったな?」 「はい、そうです♪」 「…イッ!!」 相変わらの無愛想なアイビスの足をツグミは笑顔のまま思い切り踏む。踵で。 「なぁにすぅ…!!」 「けど、部員が足りなくて…練習できても試合が出来ないんですよ〜」 その足をグリグリとすり潰すようにして、アイビスを黙らせる。相変わらずの笑顔 で。 「目ぼしい部員は居るのか?」 「一人…目を付けている生徒はいますよ。だけど、その人が入部しても四人足りない んですよね…」 溜息を吐きながら、フォークに巻かれたペペロンチーノを頬張る。オリーブの香りと ピリリと舌を刺す鷹の爪の辛さが絶妙だ。レーツェルが言うように若干パスタが伸び ているが、それも美味しいと思える範疇である。 「そうか…私も一人…目ぼしい選手が居るのだが…」 「え?エルザ…じゃなくて、レーツェルさん…なんでアナタが?」 ペペロンチーノを全て平らげ、至福の溜息を漏らすレーツェルはツグミが持ってきた 麦茶を啜ると、企みのある、ツグミが浮かべるような笑顔を浮かべた後… 「レーツェル・ファインシュメッカーは、本日付けを持って第二α高等学校野球部の ヘッドコーチに就任しました!」 「へっ?」 「あぁ?」 再び訪れる沈黙。 嘗て訪れた沈黙。 「えええぇええぇぇ!!!」 「えええぇ…ギッッ!!」 2人は驚きの余り立ち上がってしまう。勿論、ツグミの足はアイビスの足を踏んだま まであった。 アラドは授業終了のチャイムと同時に目を覚ました。 大きく欠伸を掻くと、伸びを一つ。教室に掛かっている時計を見て11時40分であ る事を確認する。 土曜日程なので、これで授業は終わりなのだがアラドはこれといってする事がなく、 ボーっと外を眺めていた。 この教室からは、練習場の様子が見て取れる。 もう、授業が終わったばかりなのに野球部が練習を始めている。昼飯前なのによくや る。 「そう言えば…昼飯だな…」 ポケットに入っている財布の中身を見ると、100円玉が一枚しか入ってなかった。 「はぁ…ゼオラの弁当でも良いから、腹に入れたいねぇ〜」 ガックリと肩を落としたアラドの視線に、一枚の紙切れが入る。 怪訝そうな表情でそれを拾うアラドは、紙切れに書かれている内容を見た途端、満面 の笑みを浮かべる。 『ハンバーグ定食 タダ券』 ただ、上質紙にそう書かれている、見るからに胡散臭いタダ券… しかし、アラドにとってはタダ券が幸福の女神に見えた。 意気揚々と食堂に向うが、昼時の食堂は当然の様に生徒でごった返していた。 「うへぇ〜マジかよ…」 アラドは元々人ごみが嫌いなため、食堂には昼下がりに向うのだが第二α食堂のハン バーグ定食は絶品であり、数が少ない。 タダ券を持っていても、ブツが無ければ意味が無い。その為に早めに来たのだが、こ の込みようは想像以上だ。 しかし、空腹は我慢できず、注文カウンターから伸びる列に並ぶ事にした。 10分ほど並び、溜息と愚痴を漏らしながらやっと自分の番が回ってきた。 「何に致しますぅ?」 メガネを掛けた割烹着姿の女の子が、愛想の良い笑顔を浮かべながら注文を聞く。 「えっと…これ、使いたいんですけど…」 申し訳無さそうにポケットからタダ券を取り出すと、目の前の女の子は一瞬…ホンの 一瞬だが物凄い笑顔を浮かべた。 しかし、それに気付くほどアラドは人間が出来てはいなかった。 「特別優遇券をご持参ですね?それでは、別室にてお待ちください〜」 彼女はカウンターから出てきて、アラドをカウンター横の部屋へと促す。アラドも何 一つ疑う事無くその部屋へと入ってしまう。 「あれ?真っ暗…」 おきらくな言葉を発するアラドであるが、後ろのドアが音を立てていきなり閉まる。 「な、なに!?」 完璧に真っ暗になった部屋に慌てるアラドであるが、目の前の一点だけがライトアッ プされ、一人のサングラスを掛けた男が調理服姿で立っていた。 「それでは、特別優遇券を持参されたアナタに贈る、ハンバーグ定食の調理風景をご 覧に入れます!!」 何処からか流れるアナウンスによって、部屋中の明かりが一気に灯る。 蛍光灯の冷たい明かりに照らされた部屋は二つに別けられていた。 一方はこちら側であり、テーブルと椅子が有るだけの殺風景な部屋。しかし、もう一 方は専門的な調理器具が並んだ、完璧な調理室である。 その二つを分かつ、巨大なアクリルの板。それを怪訝そうに見つめるアラドは、今一 状況が理解できない。 「今回調理を担当するのは、希代の天才シェフ。国境を問わずあらゆる国の料理をマ スターした、レーツェル・ファインシュメッカァァ〜!!」 その言葉に、目の前の調理服姿の男は大きく手を広げて、回りにアピールする様に弾 ける笑顔を浮かべるレーツェル。 「まず飴色にまで炒めたタマネギを冷まし、それを牛挽き肉に入れます」 牛挽き肉が置かれたボールに、飴色のタマネギが投入された。アラドは気付くはずも 無いが、肉も最高級の神戸牛であり、タマネギも北海道の無農薬野菜である。 「そして、ここに烏骨鶏(うこっけい)の卵と生パン粉。味付けの塩コショウを振り かけ、味を円やかにする為に絞ってから30分しか経っていない牛乳を入れて、これ を練ります」 レーツェルは懸命にボールのタネを練る。その表情は実に楽しそうな笑顔である。 「粘り気が出てきた所で練りを止め、フライパンに油を敷いて火に掛けます」 「あの〜」 未だに状況が解らないアラドは、アクリル越しで懸命にハンバーグを調理している レーツェルに向って声を掛けるがレーツェルは調理に集中しており、全く反応は無 い。 「小判型に形を整えたタネを、充分に熱したフライパンへと投入します」 熱されたフライパンに投入されたタネは、良い音を上げてアラドの腹を直撃する。 「強火で表面を固め、肉汁を封じ込めてからジックリと中まで火を通します」 良い香りもアラドの鼻まで届き、心地よい音と相俟って昨日から何も食べていないと 云う、空腹感がアラドを追い詰める。 「そして、焼きあがった所を見計らって熱された鉄皿に移し、付け合せのポテトとニ ンジンを添え、最後に特製デミグラスソースをかけて…」 デミグラスソースが鉄皿によって発せられる心地よい音と、デミグラスソースの香り がアラドへトドメを刺す。 「これに、ライスとコンソメスープを付けた特製ハンバーグ定食!!これを野球部入 部とその他諸々の『仕事』をして頂ければ、全て差し上げると言えば…どうする?」 最早、アラドに理性は無かった… α学園高等部の寮は、第二αの寮と比べる…比べるだけ可哀想と云う物だ。 全室個室の上に冷暖房・オンライン設備完備であり、建物も去年建造と新しい。 雲泥の差どころか、冥王星と太陽ほどの差がある。 ゼオラは自室のベッドで物思いに耽っていた。 自分はエリートと云うものに憧れ、自分もエリートになってみたいと思った。 だからこそα学園へと入学し、テニスのエリートになろうとしたのだ。 しかし… アラドはエリートではなかった。だからこそ、α学園を追われたのだ。 いつも一緒だったアラドと離れて、ゼオラは何時もよりテニスに打ち込んだ。 自分の夢に自信を持つため…エリートになるため… 理由は色々だったが、本当の所は何もかも忘れたいからだと思う。 隣にアラドが居ない不安。それは想像を絶した。 一緒に居る時は感じないのだが、最近は何かシックリと行かない… そう思えば、エリートがどうのこうのと云う考えは頭には無かった。 アイビスは目を覚ました。 いつもの朝日。いつもの空気。いつもの鳥の囀り。 しかし、何か一つ違った。 車のエンジン音… 遠くでは聞こえる事はあるが、これほど近くで、しかも振動まで感じる事は寮の部屋 では出来ない。 答えは簡単。 アイビスは慌てて起き上がり、辺りを見回す。 狭い圧迫感のある空間。 紛れも無く、国産ワゴンの車内であった。 状況が飲み込めない。 「あら、お目覚め?」 前方の席でツグミが食堂のカツサンドを頬張りながら振り向く。 「うむ、ここのカツサンドはハンバーグ定食に並んで良い味をしている」 その隣でハンドルを操っているのは、相変わらずのサングラスを掛けたレーツェルで あった。レーツェルの手にもツグミ同様カツサンドがあり、自分の目の前にも手付か ずのカツサンドが置かれていた。 「それ、朝ごはんだから、食べてね〜」 「ここ…どこ?」 「見て解るでしょ?車の中」 その言葉に、周りを見回して改めてここがワゴンの車内である事を確認するが、まだ 状況が理解できない。 「せんぱ〜い、もっとカツサンドありませんか〜?」 アイビスの後ろから、アラドが顔を出す。 昨日、あんなふざけたハンバーグ定食のタダ券におびき出されて、目の前でハンバー グの実演をしたらコロッと野球部入部を承諾してしまった少し抜けてる一年生だ。 「アンタ…」 「あ、どーもッス〜アラド・バランガって言います。よろしくです、センパイ」 人懐っこい笑顔を浮かべるが、どうにもこうにも頭が悪そうな男だ。これを本気で野 球部に引き込むのだから、ツグミの目も意外と当てにならない。 笑いかけるアラドを見て一つ溜息を吐くと、目の前に置かれているカツサンドを手に 取る。 それを頬張ろうとするが、後ろで熱い視線を感じ取る。 アラドである。 因みに、アイビスが起きる前にカツサンドを5つにコンビニのシーチキンマヨネーズ の御握りを3つ平らげ、高速のSAでラーメンとカレーまで食べている。 まさに底なしの胃袋だ。 「ハイハイ…食べて良いよ…」 疲労の溜息を吐くと、涎まで垂らしているアラドにカツサンドを放る。すると、アラ ドはそれを口でキャッチして、そのまま飲み込んでしまう。 「…んで、何しに行くんだ?みんなで授業サボってピクニックって訳じゃ無いだ ろ?」 「あら?授業なんて真面目に受けて無いくせに〜」 ツナサンドを頬張りながら、ツグミが細い笑みを浮かべながら言う。 「五月蝿いっての…。んで、何処行くのよ?」 「か・ん・ゆ・う〜。ピーナッツバターもあるけど、どう?」 ツグミの何とも形容しがたい笑みが、実に胡散臭かった。 ゼオラは何時もの通り、早朝練習の為にユニフォームを着てテニスコートに向うが、 そこに一人のサングラスを掛けた金髪の男が立っていた。当然、レーツェルだ。 レーツェルは持ち前の濃い笑みをゼオラに投げかける。 その笑みに、引きつった笑顔で答えるゼオラはレーツェルと一定の距離を開いたまま であった。 「あ…の〜何か御用ですか?」 やっとの事で言ったゼオラの台詞にも、レーツェルはその笑みを浮かべるだけであっ た。 「あの…」 「ゼオラ…」 ふと、後ろの方から声が聞こえる。実に聞きなれたものの、久しく聞いていなかった 声… 振り返るのが怖かった。振り返ってしまえば、自分は… しかし、振り返らずには居られなかった。 「アラ・・・ド・・・」 「な、レーツェルさん!勧誘ってゼオラの事なのかよ?」 「勧誘・・・?」 「ゼオラ・シュバイツァーさん・・・ね?」 アラドの後ろから、見慣れないメガネの少女と赤毛の少女が姿を現す。赤毛の方はと もかく、メガネの方は独特の怪しい雰囲気を醸し出している。丁度、レーツェルと同 じである。 「単刀直入に言うわ…第二α高等学校野球部に入部して欲しいの」 ゼオラは状況が良く理解できず、頭の中は混乱の渦に巻き込まれている。 突然のアラドとの再開、訳の分からない女からの落ち毀れの巣窟である第二α高等学 校の野球部への入部要請・・・頭がどうにかなってしまいそうだ。 「ツグミ先輩!一体どう云う事だ?ゼオラはテニスのエースなんだぞ!?」 「それは承知の上よ、我々野球部にはゼオラさんの天才的なパワーが必要なの」 「私からもお願いしよう、野球部ヘッドコーチとして…」 「他にも居るだろ!?何でゼオラなんだ!」 「私が適任者だと判断した」 「ゼオラは靡(なび)かないぜ・・・コイツの夢はテニスでウィンブルトンに出場する 事だ!」 アラドの台詞に、ゼオラは体をピクリと動かす。 ワタシのユメ・・・ ワタシの・・・ 「何も知らない癖に・・・何も知らない癖に知った風な事言わないでよ!!」 ゼオラは混乱した頭を抑えながら、アラドに向って言った。 「これ以上話さないで・・・これ以上ワタシを混乱させないで・・・ワタシにユメなんて ・・・ワタシにユメなんてぇぇ!!」 そう言うと、ゼオラはその場で崩れ落ちてしまった・・・ 考えるべき事が多すぎて、何に悩み、何を吹っ切らなければならないのか・・・解らな くなっていた。 「信じられないユメならば、そんなモノ捨ててしまいなさい!」 静寂の中に、一つ凛とした声が響く。 「ユメとは、何物にも臆することの無い心を持たせてくれるもの・・・今のアナタには 無縁の言葉・・・」 スレイだった・・・。 凛とした態度に、ゼオラを直視する視線には昨日の自嘲気味な表情は一遍も感じ取れ なかった。 「もう一度・・・ユメを考え直しなさい・・・彼と一緒にね」 「せん・・・ぱい・・・」 最後に優しく掛けた声に瞳から熱いものが込み上げてきた。 「ゼオラ・・・その・・・」 「私・・・行くから」 「へ?」 「ワタシ・・・第二αに行くから・・・」 「エ、エリートになるんじゃ無かったのか?」 「スレイ先輩が、エリートは努力の塊だって。だから、学校が何処になっても努力を していれば、エリートにはなれるわ・・・ついでに、出来の悪い誰かさんの面倒を見な いと、退屈で仕方ないのよね〜」 「な、なんだよそれぇ!!」 「それに・・・」 アラドと一緒にユメを掴まなくちゃ、意味が無い・・・ 「それに・・・なんだよ?」 「・・・」 一つ呼吸を整え、アラドに向き直るとゼオラはこう言った。 「野球ってのも、一回はやって見たかったんだよね!」 満面の笑みだった。 まぁ、外野にとっては何がなんだか解らないが、とにかく丸く収まって良かった・・・ と云った所だった。 しかし・・・ 「スレイ・・・」 物凄い形相でアイビスはスレイの名を呼ぶ。 その声に気付くと、スレイはアイビスの方へと顔を向ける。 「アイビス・・・」 アイビス同様に表情を激しく曇らせる。怒気すら感じられる。 そして、スレイはアイビスに向って、こう言い放った 「この・・・負け犬が!!」 ・・・と 次回予告 野球部に入部することになった、ゼオラ・シュバイツァーです。 ワタシの問題が解決した途端、あんなに優しかったスレイ先輩がアイビス先輩を見た 途端、物凄い形相で、こう言ったんです「負け犬」って。 スレイ先輩とアイビス先輩の間に一体何があったのでしょう? 一方、野球部に入部希望者が現れました。 それが・・・ 次回、我ら!第二α高等学校野球部!! 第4話 秀才の憂鬱 次回も見てくださいね!ジャカジャカジャン、ジャカジャカジャカジャカ、ジャンケ ン〜駄目ですね・・・ |
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